筑紫2団ベンチャー隊 東日本大震災ボランティア報告

ベンチャー隊 隊長 武末健志
副長 戸髙宗徳

1、目的
 未曽有の事態である東日本大震災に対し、復興支援活動を通してベンチャースカウトに実際の状況を感じてもらい、今後自分たちに何ができるのか、又、後進のボーイスカウトたちに、どんなことを伝えていかなければならないのかを考えていく機会とする。

2、期間
2011年7月24日(日)~7月29日(金)
※武末・戸髙は7月26日(火)より参加(24、25日は春日3団 郡島氏同行)

3、場所
「亘理町災害ボランティアセンター」
住所 宮城県亘理郡亘理町字旧舘62-1

4、参加者
・武末 健志       ・戸髙 宗徳
行武 壮気       ・池上 浩幸
・弘瀬 康博       ・塩入 太貴
・藤森 慎弥       ・郡島 三暁氏(春日3団)

5、活動報告・感想
 今回の活動では、亘理町ボランティアセンターを通して、民家一軒の一階部分の清掃、解体を行いました。現地ではまだまだ重機が入ることのできない地域があるらしく、手付かずの場所もあるそうです。微力ではありますが、ボランティア活動に携われたこと、そして現地の雰囲気や地域の方にふれられたことは、非常に大きな経験であったと思います。
 又仙台市の大崎八幡宮の小野目宮司様をはじめ、BS仙台27団、岩沼1団の皆様には大変お世話になりました。この国難に対し復興までには本当に長い年数がかかると思いますが、この先も復興支援に携わっていきたいと思います。

スカウト感想文

小さな手助け、大きな笑顔

行武 壮気

 三月十一日、学校から帰った僕はテレビを見て驚愕しました。激しく揺れる高層ビル、家や車を無差別に呑みこんでいく津波、そして必死に避難する人々。全てがこの世のものとは思えない光景でした。その日から増え続ける行方不明者や死者。そんな状況の中を同じ年くらいの人々が生き抜いていると考えると居ても立ってもいられませんでした。被災地へボランティア活動に一刻も早く行きたいという気持ちが募りました。
 ベンチャー隊の武末隊長が阪神淡路大震災の際にボランティアに行かれたことがあるという話を聞いたことがありました。その話を思い出して、まず家族に提案しました。家族は快く背中を推してくれました。次に、隊長とベンチャー隊の仲間たちに相談しました。池上君、塩入君、弘瀬君、藤森君、武末隊長、戸髙副長、そして春日第3団の郡島隊長も共に立ち上がってくれました。それから太宰府市のボランティアセンターの方々や様々なボーイスカウト関係者の方々の協力を得て、時間はかかりましたが震災から四ヶ月後、ついに宮城県亘理町へ行くことが決まりました。
 僕たちは先発隊、後発隊に別れて亘理町へと向かいました。先発隊は七月二十五日から二十六日にかけて車で行ったのですが、早朝、車の中で震度五の地震に遭いました。現地に着いてすぐのことだったので、正直それからの活動が不安になりました。
 活動一日目は津波によって流された写真の洗浄作業でした。バクテリアが付着することで、写真が白くなってしまうのです。二、三、四日目は地震・津波によって被害に遭った家の床はがし、壁はがしの作業をしました。テレビ等で見る光景がそこには広がっていました。
 今回のボランティア活動で様々な人に出会いました。ボランティアセンターに宿泊して活動している人々や現地の人々。僕が出会ったその人達は皆、笑っていました。失ったものは測り知れない程あるのに、笑っていました。その笑顔が僕にぬくもりをくれました。僕達が亘理町に行く際、家族やボランティアセンターの人達、ボーイスカウト関係者が支えてくれた様に、現地の人々も笑い合い、支え合っていました。
 僕達が活動した人数や期間は実質、決して多いものではありません。故に、できたことも少ないです。僕達ができることは、これからも被災地に目を向け続け、今回の活動で培った経験を普段の生活に活かすことと、何よりもボランティア活動が僕達高校生にもできたんだということを周囲に広めていくことだと思います。確かに、費用もかかるし、危険を伴うことにはなりますが機会があれば全国のスカウト達にも一度ボランティアに行ってみてほしいです。実際に行くことだけがボランティアではないので、募金活動も是非行ってほしいなと思います。僕達も必ずまた行きます。

ボランティアに行って

池上 浩幸

 自分は今回、宮城県亘理町災害ボランティアに行って気付いた事がいくつかあります。
 まず、思い出の大切さです。現地に着いて、初日の活動が津波で流されて泥まみれになった写真をブラシでみがいてきれいにするという内容でした。最初は、写真の泥を落とす作業、という気持ちで写真をきれいにしていました。しかし、作業をしているうちに、ふと、被災地にあった写真だから、この写真に写っているひとも、被災しているんだろうかと思いました。もし地震や津波で亡くなった人の写真なら、自分が扱っている写真は、残った大切な思い出だと思いました。写真は、形に残る大切な思い出です。そう考えると、写真をきれいにする自分の手つきが少し変わった気がしました。
 そして、人との関わりです。現地に行って、現地のボーイスカウトの方や、亘理町ボランティアセンターの近所の人などから、差し入れをたくさんもらいました。飲み物や食べ物をもらい、とてもおいしくいただきました。大崎八幡宮の方にも大変お世話になりました。そして、ボランティアセンターに泊っている現地のボランティアの人に、交流できる機会があり、貴重な経験だと思い、話を聞くと、来てくれただけでもうれしい。と言われたのが心に残っています。そしてこの時、ボランティアに来てよかったと思えました。そして、福岡から来た高校生だという事を話すと、とても驚かれました。自分は、福岡は遠いけれど、たくさんの人にボランティアに行ってもらって、福岡からでも当然の事の様になればいいな。と思いました。人との関わり、そして新しく関わりができる事は、すばらしい事だと思いました。
 最後に、人間のすごさです。現地の津波がきた所は、がれきが片付けられ、道路もほぼ通れる様になっていました。わずか4ヶ月ほどで、あそこまできれいになっているとは思いませんでした。そして、現地の人もボランティア活動に参加しています。自分の事でも手いっぱいのはずなのに。地元の一日でも早い復興に向けて頑張っています。
 僕は、行けるならばまたボランティアに行きたいです。しかし、簡単に行ける訳ではありません。小さな事でも、節電や募金を続けていきたいです。そして、時間とお金がある人には、ぜひ現地に行ってボランティアをしてほしいと思います。

東日本大震災のボランティア活動に行って

塩入 太貴

 私は今年の7月26日から7月29日までの4日間、宮城県亘理町にある災害ボランティアセンターに災害復興支援のためにボランティア活動に行ってきました。初日は夜に災害ボランティアセンターに到着したので、活動を行う事はできませんでした。その日は先に到着ししていた先発隊と合流し、昼間に行った活動の報告を受けて各自就寝しました。災害ボランティアには武末隊長、戸髙副長と行武君、池上君、藤森君、弘瀬君、そして私の7名で参加しました。私たちはベンチャースカウトとして、福岡県より初めてのボランティアとして参加しました。私たちは被災地に行く前に被災地の支援を行っている災害復興支援ネットワークの方々にお話を伺いました。ですから被災地の状況については分かっていたのですが、実際に被災を受けた家屋を見て改めて津波の恐ろしさを実感しました。私たちが担当した家屋は二階建の家だったのですが、津波により一階は骨組の木材が出ている状態になっていて、家屋は半壊でした。しかもそれが一軒だけでなく辺りを見回すと周辺の家もこの家と同じ状態になっていました。さらに地元の人にここより被害が大きい地域を案内してもらいました。そこに行ってみると、津波と地震により壊された大量の建物や車などの残骸が山のように積み上げられていました。市内はそこまで被害は見られなかったのですが、少し離れた所に行くとこんなに違うのかと思いました。私たちは戻って家屋で再び作業を行いました。作業の内容は壊された家屋の床や壁をはがしたり、泥出し、津波により折れてしまった木材の撤去などを行いました。この作業を朝から夕方まで行い、その後は各自でその日の夕食、次の日の朝食と昼食を買出しに行ったり、災害ボランティアセンターの仮設のお風呂を貸してもらい入浴したりして、夜10時には就寝しました。私たちはテントを設営して寝泊りをしていますが、そこで寝泊りをしているのは私たちだけではありません。私たち以外のボランティアの方々です。たくさんの方々が私たちより先に来て、長期滞在してボランティア活動を行っていました。私は被災地の方々の力になりたくて今回の活動に参加しました。ボランティアセンターでは色々な方々が被災地の復興のために頑張っていました。やはりテレビに映っていることだけでは本当のことは分からないと思いました。私は今回のボランティア活動で行動は実行に移さないと意味がないということを学びました。
 どんなことも実行してみないと分かりません。だからもっと多くの人に機会があるなら被災地にボランティアに行って、そこで学んだことをもっと多くの人に伝えて、それを繰り返して日本中にボランティアの大切さを伝えるべきだと思います。